代表弁護士の川村です。先週木曜日(12月14日)、「静岡県富士市役所」様のご依頼により、高齢者・障がい者施設従事者向けの虐待防止研修の講師を務めて参りました。ホールを埋め尽くす200名以上の熱心な聴講者の前でお話しをさせていただきました。ご参加いただいた方には最後まで熱心に聴講いただき誠に有難うございました。些かなりとも皆様の日々の業務にお役立ていただけるようであれば大変幸いです。

今回大阪から少なからず遠く離れた静岡県にてお話しすることとなったきっかけは、本年夏ごろの、当事務所のHPをご覧いただいた前記市役所の職員の方からの一本のお電話でした。

私は、本年2月16日に記載したトピックス(「川村和久弁護士が、大阪弁護士会が主宰する「高齢者虐待防止対応研修」の出張講座講師を務めました」)で次のように書いていました。
http://kks-law.com/archives/1326

「虐待は虐待を行う職員の個人的な資質の問題もあるかとは思いますが、これを防止するためには、組織として、職員が互いに不適切なケアを指摘し合えるような信頼関係にあること、上司が部下職員の悩みを理解し、ストレスを軽減させてあげること、職員同士が積極的に対話をし、不正義を許さず、励まし合える風通しのよい組織風土にすること、そのためのミドルマネジメントの役割も大切ではないかというようなお話をさせていただきました。

最後に、なにより、介護職というのは利用者(他人)の自己実現(自立・自律)を支援することが、同時に自らの自己実現につながる(ケアの本質)という素晴らしい職業であり、仕事に就いた際の初志を忘れず、誇りをもって日々仕事をしていただきたいと、お話しさせていただきました。」

上記のオレンジ色の部分は、ミルトン・メイヤロフという人の「ケアの本質」という書物における考え方をベースにお話しさせていただいたものでしたが、市役所の方が言うには、この部分に非常に感激したので、ぜひ静岡に来て施設従事者の皆さんに対して話していただきたいとのことでした。

私はこの本について、というより、上記の「ケアの本質」という考え方について、私の所属している経営者団体の勉強会で某上場企業の経営者の方のお話しを聞き、自分自身が大変感銘を受けた言葉でした。というのも、我々弁護士の仕事も一種の「ケア」を目的とする職業といえるからです。クライアントの最善を目指す弁護士の活動は、まさにクライアントの自己実現を図ること=弁護士自身の自己実現であるという関係にあります。(大乗)仏教には、「自利利他」という言葉があります。利他とは自利をいう、すなわち、利他(社会や他人のために尽くすこと)こそがすなわち自利(自分の本当の喜びや幸せ)となるという教えです。この言葉と大変共通性があると思っています。
自らが選択した職業において、日々の仕事に打ち込み、世のため人のために働くことこそ、実はそれが自分にとっての最高のやりがい、生きがいに繋がるということを私自身弁護士の仕事をする中で日々実感していますし、そのような考え方や生き方を多くの人に知ってもらいたいと日頃から思っています。

私は二つ返事で承諾のお返事をさせていただきました。
お話しした内容のベースは、すでにトピックスで書かせていただいた内容です。
http://kks-law.com/archives/1359

この問題の難しさは、虐待をしてはいけない、ということは3つの子どもでもわかることなのに、施設従事者という「介護や福祉のプロ」において、なぜ虐待に走ってしまう人がいるのだろうということです。
中国の故事に、唐の白楽天が道林禅師に参禅した際に、「仏法の大意とはどういうものでしょうか」と問うた時、道林が「諸悪莫作 衆善奉行(悪をなさず、善をなすことだ)」と答えたのに対し、白楽天が「そんなことなら、三歳の童子でもそう言うでしょう」というと、道林禅師は「たとえ三歳の童子が言い得ても、八十歳の老翁も実践することはむつかしい」と答えたので、白楽天は礼拝して去ったというものがあります。
誰もが分かる真理が、必ずしも容易に実行できない、その原因はどこにあるのか、というのが私のこのテーマに関する主たる関心事です。

最近認知症の方に対するケアの技法に、フランスで考案された「ユマニチュード」というものがあることを知りました。ユマニチュードは、ケアをされる患者さんと、一人の人間として向き合う事から生まれる認知症ケアであり、実践すると、これまでコミュニケーションが上手くとれなかった患者さんと、嘘のように円滑にコミュニケーションが取れるようになることから、魔法の認知症ケアと呼ばれているとのこと。創始者はイブ・ジネストとロゼット・マレスコッティという2人のフランス人です。
ジネスト氏によれば、「人間は人間として接してもらわないと生きていけない」ということであり、認知症の方に対し、知性というより感情(感性)に働きかけて、「優しさを伝える技術」だそうです。「見る」「話す」「触れる」「立つ」の4つの柱があり、150の技術の体系があるとのこと。
ユーチューブで検索すれば多くの動画を検索することができます。ご興味がある方は例えば下記の動画をご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=eHxY0J_Fvig
このようなケアの技法により、介護の現場におけるケアの水準が向上し、身体拘束などに繋がらないケアが実践できるとのことです。

もとより認知症ケアに限らず、介護の現場ではプロフェッショナルとしての様々な知識技術の蓄積があることでしょう。そういうものをきちんと勉強して日々の仕事にあたる。そのことで利用者の方が幸せになることは、すなわち「与える幸せ」であり、与える幸せは、与えられた利用者の方も幸せであるし、与えた自分にも喜びがあり、また、それを見た家族や関係者等周囲の人も心温まる喜びがありますよ、というようなお話しもさせていただきました。

ルールや制裁を知ることも大切ですが、そのような面を強調することよりも、介護や福祉の現場で日々業務に携わる方々が、初志を忘れることなく、希望とやりがいに燃えて仕事に打ち込むことが、現場で虐待というような望ましくない事態を防ぐための、最も大切な基本とならなければならないと考えています。

利用者を同じ「良心(良知)」を持った人間であると認識することが、利用者の「尊厳」を護ることに繋がります。利用者の人格を決して「手段」として扱ってはならないこと。現場における判断・行動の基準は、既存のルールにとらわれ過ぎず、自らの良心(良知)に問い返し、その実践の現場において、利用者の立場に立って、「ケアの目的」(利用者自らの「意欲」に基づく「自立」の支援)と「ケアの本質」(その利用者への支援が同時に自己の自己実現である喜び。決して自らの自己実現のために利用者の存在があるのではない)を踏まえ、公平・公正・正直・誠実・素直・思いやり・優しさ・調和などのプリミティブな価値観や原理原則により判断し、行動することで足りるというようなお話をさせていただいた次第です。

自らもさらに研鑽を積まなければならないと感じた一日となりました。