エッセイ

2023/10/05 エッセイ

「反対尋問の技術(上・下)」フランシスL.ウェルマン・林勝郎訳(青甲社刊)について(弁護士川村和久)

代表弁護士の川村です。少し間が空きましたが、今回も業務に関連したエッセイです。

弁護士の裁判実務(法廷活動)の中で、各弁護士の腕の見せ所ともいえる重要な業務として、訴状や準備書面などの各種の「書面作成」と「法廷尋問」、とりわけ相手方証人に対して行う「反対尋問」の2つを上げることができるでしょう。

弁護士は司法試験合格後の「司法修習」(私のときは2年間)にて、これらについての初歩的な技術や理論については教えられますが、もちろん短期間で身につくような簡単なものではありません。弁護士になった後に、事件を担当する中で、「実戦」を通じて、スキルアップを図ってゆく他ありません。

私は、1994年(平成6年)に弁護士登録後、大阪の中堅どころの法律事務所に就職しましたが、その事務所の書棚に、表題の書籍が置いてあったのを、今でも記憶しています。

コピーライト表示から最初の刊行は1903年と判ります。著者ウェルマンの生年は1854年と記されていますが、日本ではまだ江戸時代、「日米和親条約」が締結された年です。

そのような反対尋問の「古典中の古典」は現在絶版となっていますが、実は最近、たまたまネットオークションで購入することができて、現在私の手元にあり、懐かしみながら読んでいる次第です(私が入手した日本語訳の本は、初版が1973年に刊行され、1991年に第5刷が出ています。)。

この本には、有名なリンカーン(エイブラハム・リンカーン・1809-1865・第16代米国大統領)の反対尋問の実例が載っています。彼は政治家として著名であっただけでなく、政治家になる前は、優秀な刑事弁護士としても名を馳せていたようです。

私が修習時代(1992年ころ)に教わった・そのリンカーンの米国の法廷における有名な反対尋問の実例について、以下に、要約してご紹介したいと思います。

リンカーンが弁護したのは殺人事件の被告人でした。検察側の証人は、被告人が銃弾を発射するところを見たこと、彼が逃げ出したこと、そして自分が被害者を抱き起こしたところ、すでに死んでいたことなどを証言していました。

それまでの審理でその他の証人に対する反対尋問も行われず、彼が有罪であり犯人であるとの証拠は、実際上、争う余地もないかのようでした。被告人の母親は老練の弁護士を依頼することができなかったので、当時まだ若かったリンカーンにやむなく依頼しましたが、なぜリンカーンが法廷でずっと黙ったままで何もしないのかと不審に思い始めていました。

ところが、そのときリンカーンは、すっくと立ち上がり、本もノートも持たずに、その手ごわい証人を無言のままじっと見つめ、そして次のような尋問をもって、やおら被告人の弁護を始めたのです。

リンカーンは、証人に対し、まず、犯行の場所は人家から遠く(1マイル)も離れた場所であり、蝋燭の灯も持っていないのに、何故犯行の様子が見えたのかという質問をします。

その前の検事の主尋問で、証人は、被告人から 20 フィート(約6m)離れた位置で、被告人が被害者にピストルを向けて発射したのを見たと証言しており、その犯行時刻が夜の10時ころだったと証言していました。

このリンカーンの反対尋問に対し、証人は、「月明かり」で見えたと証言するのです。

その後、リンカーンは「月明かり」についての質問を続けます。

リンカーンは巧みな尋問により、その証人から、その殺人事件の晩に月が出ていたこと、犯行現場は「ブナの木」の林の中であったこと、8月で木の葉も繁っていたこと、さらに、月明かりで、ピストルの銃身や、ピストルを発射するところも見えたなどといった具体的な証言を次々に引き出してゆき、証人の証言を着実に固めてゆきます。

その後、おもむろに、リンカーンは、上着のポケットから「暦」を取り出し、それを証拠として提出すると述べ、陪審並びに裁判官にも見せ、ある頁を開いて、「月は当日の夜10時には見られず、翌朝1時(※犯行時刻より3 時間後)にならないと上らない」という記述をゆっくり用心深く読み上げたということです。なんと、事実としては、当日の晩、月は出ていなかったのです。

これによりリンカーンは、「月明かりで被告人の殺人行為を目撃した」という証人の証言が客観的事実に反し虚偽であることを誰の目からも明らかとなるように暴き、被告人の無罪放免を勝ち取る同時に、当該目撃証人こそが真犯人であったことを明確にしたのです。

このリンカーンが行った反対尋問は、証言の信用性を減じるために行われたものであり、リンカーンが提出した証拠は法律上の用語で「弾劾証拠」と呼ばれています。

我々が現代の日本の法廷で日常行う証人尋問で、このような鮮やかな反対尋問がバシッと決まるという経験をすることは、残念ながら滅多にありません。この本には、その他にも、100年以上前の米国の法廷で実際に行われた反対尋問の実例が多数紹介されているのですが、実際に業務に使えるかどうかはともかく、極めて興味深いとともに、当時の弁護士の「真実発見」に向けた情熱や英知には改めて感嘆させられます。

私は、このような書籍に触発されていたこともあり、弁護士登録以来、「反対尋問の技術」に興味を抱き続けていますが、その関連で10年前(2006年)に私自身が前の事務所のHPで発表したエッセイがありますので、そのまま再掲したいと思います。

まだ30代のころの、独立して現事務所を立ち上げる直前の時代の、少し気負った文章ではあるのですが、裁判実務についてご興味のある方にはぜひお読みいただければと思います。

独立して早くも10年目を迎えています(再掲時補注:2016年当時)。
これまでも、これからも、法廷弁護士として、まだまだ向上しなければならないと自戒する日々です。

「ある法廷での記憶から−裁判と証人尋問と真実の発見」(2006年栄光綜合法律事務所HPにて初出)

国民の中から選ばれる「裁判員」が裁判官と一緒に刑事裁判を行う「裁判員制度」が、平成21年5月までにスタートすることが予定されています。最近では有名女優(川村注:確か、長谷川京子さん)の大きな写真入りの宣伝ポスターが通勤途中の駅の構内に貼られているのをよく見かけるようになりました。裁判所の、少し前までの「お堅い」イメージからはちょっと想像できないくらいではないでしょうか。確かに、「裁判」というものが一般の人にも身近なものになってきているように感じます。

今回は、私が新人弁護士時代に経験した、ある裁判の法廷での記憶を書いてみたいと思います。それと同時に、そのエピソードを元に、一人の市井の弁護士の裁判に対する「思い」というものに触れていただき、裁判について考えるきっかけとしていただければと思います。少し長くなりますが、お付き合いください。

私は弁護士になって丸12年になります(再掲時補注:2006年当時)。

私が最初に経験した裁判は民事の事件でしたが、いわゆる「保証否認」の事案でした。ある男性が金融機関から借り入れをしたのですが、払えなくなり、金融機関は契約書上「連帯保証人」とされている当方の依頼者に対して返済を迫ってきたのです。当方依頼者は、主債務者の実兄でしたが、保証をした覚えはないし、これは筆跡から見てもおそらく弟が勝手に書いたものに違いないと言います。私はその弟に事情を聞きました。そうすると、弟もそれは私が兄の名前を勝手に書いたもので、兄は全く関係ないと認めました。事実関係ははっきりしているように思われました。

事前に金融機関に交渉を申し入れましたが拒絶され、裁判が始まりました。何度か弁論期日が入り、双方の主張が行われましたが、金融機関側はあくまで連帯保証人本人が署名捺印したものに間違いなく、保証は有効だと主張して譲りませんでした。

そこで、証人尋問が行われることになりました。こちら側は、「連帯保証人」とされる兄と主債務者である弟が法廷で証言することになりました。金融機関側は、当時「直接面談して連帯保証を取り付けた」という担当者が証人として出廷することとなりました。

まず、原告側証人である金融機関担当者の尋問が始まりました。相手方弁護士の主尋問では、相手方担当者は、保証意思の確認のため当方依頼者の経営する会社の事務所まで赴いたこと、会社の応接室で依頼者と面談したこと、その場で連帯保証人の欄に署名捺印してもらったことなどを淡々と証言してゆきました。

私は当時1年生弁護士で、しかもその時法廷には1人で出廷していました。反対尋問は正直初めてでした(というより尋問自体が初めてでした。修習生時代に「模擬裁判」での尋問の経験はありましたが・・・)。だからといって、もちろん失敗など許されません。私は事前の事情聴取で弟が自ら連帯保証人欄の署名捺印を勝手にしたと言っており、この担当者は「嘘をついている」という確信こそありましたが、反面それをどのように反対尋問で突き崩そうかと主尋問の間中頭の中がフル回転していました。胸がドキドキし、相手方の証言内容をメモにとりながら、いつしか手の平が汗ばんでくるのを感じていました。

主尋問が終わり、裁判官が私の方を向いて目線で合図をし、私の反対尋問の順番がやって来ました。すっと立ち上がると、脚が震えそうになっていました。でも神聖な法廷の場での嘘を許すわけにはいきませんでした。

私「被告代理人の川村です。では、私からお尋ねします。証人は被告の事務所にはどのようにして行きましたか。」

証人「確か電車だったと思います。」

私「○○電鉄の○○線ですね。それでは、どの駅で降りられましたか。」

証人「・・・。よく覚えていません。」

私「被告の事務所のあるビルは何階建でしたか。どのような色をしていましたか。」

証人「・・・。思い出せません。」

私「被告の事務所には従業員は何名位いましたか。」

証人「・・・(沈黙のまま)」

証人は私の質問に全く答えられませんでした。

実は私はこの尋問期日の前にある準備をしていました。被告の事務所に実際に赴き、電車の最寄駅を調べ、事務所の入っているビルを写真撮影し、事務所内も写真撮影して、いつでも証拠として出せるように準備していたのです。そこで、もし証人が実際に行ってもいないのに、いい加減な証言をするようだとこれら写真を「弾劾証拠」としてすぐにその場で提出できるように準備していたのです。しかし、担当者は結局これら質問には沈黙するしかありませんでした。

そして、最後に私は聞きました。

私「あなたが連帯保証人として直接面談して署名捺印してもらったというその本人はどのような風貌の人でしたか。メガネをかけていましたか。太っていましたか、痩せていましたか。(少し間をおいて)この法廷に居ますか、居たらその人を指差してください。」

証人「・・・(ずっと下を向いて沈黙)」

結局この証人はある意味で「善良」な人だったのかもしれません。会社内における立場上主尋問ではあのように答える他なかったのかもしれないなと後で思いました。反対尋問での私の質問に対してまで「真っ赤な嘘」をつくような勇気もなかっただろうし、あるいは彼の最後の「良心」が残っていたのかもしれません。反対尋問が終わるとすぐさま逃げるようにして法廷を後にしました。

その後、当方依頼者である兄が、予定どおり、先に証言した金融機関側の担当者とは一度も面識がないことを証言し、主債務者である弟も、金融機関の担当者も暗黙の了解で兄の署名捺印を勝手に行ったというようなことを明確に証言しました。

そしてすべての証人尋問が終わったまさにその瞬間に、こちらの勝訴が極めて明らかとなりました。

裁判官はその場で、「もう勝敗は明らかでしょう。」と相手方代理人に対し裁判の「取下げ」を強く勧告しました。

これに対し、私は是非とも判決が欲しいと言いました。金融機関側のこれほど明らかな「嘘」を裁判所に判決で明確に認定してもらいたかったし、そしてその判決を元にして別訴で逆に「不当提訴」による損害賠償請求を当該金融機関に対して起こすつもりだと言ったのです。正直、依頼者本人よりかなりエキサイトしていましたし、依頼者が同意すれば本気でそこまでやるつもりでした。

ただ、担当裁判官はそれには難色を示しました。私もまだ若かった(?)ので、このような明確な偽証を裁判所は許すのか、裁判所がむしろ「偽証罪」として告発すべきではないか(公務員の告発義務!)、とさらに裁判官に迫りましたが、最終的には経験豊富なそのベテラン裁判官にやんわりと説得され、結局相手方の裁判の取下げにこちらが同意してその裁判は終了したのでした。

しかしながら、弁護士1年目の最初に経験したこの一件で、私は法廷における反対尋問にさらに興味を抱き、尋問技術を磨こうと色々その道の本を読んだりして勉強をしてゆくことになったのです。

ところで、私は、弁護士になる前、司法試験の勉強をしていたときに、アメリカのテレビの法廷ドラマで「LAロー・7人の弁護士」という番組が好きでよく見ていました。ロサンゼルスの弁護士7名の法律事務所での日常を描いた番組で、深夜にやっていましたが欠かさず見ていました。覚えているのは法廷の場面ですが、美人の女性弁護士が法廷で偽証する相手方証人を、反対尋問でそれこそ物凄い勢いと剣幕で追及しまくるのです。弁護士の質問に対して否定し続ける証人に対し、「こうではないですか」、「こうでしょう!」、「こうだったはずだ!!」と畳み掛けるように尋問をし、というより単に自分の意見を強烈に押し付けているだけなのですが、最後には証人に近づきつつ大声で詰め寄ります。証人は顔面蒼白で引きつりながら「そっ、それは違うぅー」などと答え、相手方弁護士もたまらず立ち上がって「異議あり!今の質問は証人を不当に威迫するものです!」などと叫ぶのです。すると同時に、裁判官がその異議の裁定をする前に、その格好いい女性弁護士は高らかに「(今の質問は)撤回します!以上で質問を終わります。」と言い放つや、くるりと向きを変えて颯爽と自分の席に戻るのです。

確かに、弁護士は自ら質問を撤回し、裁判官も「陪審員は今の弁護士の質問は聞かなかったことにするように!」などと説示したりするのですが、「質問をした」という事実は残り、それに対して証人が口では否定しているものの、その証言の「態度」自体により「信用しがたい」というイメージを陪審員に対して強烈に印象付けるという寸法なのです。

その後いつだったか中公新書で児島襄著「東京裁判(上・下)」を読んでいるときに、アメリカ人検事が法廷で日本のA級戦犯を擁護する証言をする証人を追及するに際して似たような手法を用い、それが「記録方式」と呼ばれる一種の米国における尋問技術であることを知りました。すなわち、証人が「知らない」と言っても、逆にその否定の積み重ねでそのような事実があったのではないかという印象を、判事や陪審員に与えるやり方として知られているものであると知ったのです。

その後私も数多くの裁判を経験し、反対尋問も沢山経験してきました。実戦で相手方代理人の先輩弁護士の優れた尋問技術に学ぶことも多々ありました。

弁護士3年生のときに刑事事件で無罪判決を勝ち取ったこともあります。警察官や検察官に対する反対尋問は非常に難しく、事前に入念な準備をして法廷に臨んだことを覚えています。

私は医療過誤の裁判もよくやります。患者側の代理人ですから、医療の専門家である被告側医師に対する反対尋問を行います。医師に対する反対尋問は事前に医学論文を読み込み、医学知識を詰め込み、友人の医師と議論し、相当準備しなければ効果的な反対尋問などできません。

かといって通常の事件の尋問が容易かというとそうではありません。

効果的な尋問を行うには、事前に訴訟記録を含む一件記録を丹念に読み込み、依頼者から納得いくまで事情を聞き、その事案については(依頼者よりも、相手方よりも、裁判官よりも、誰よりも)自分が最もよく知っているという自信が心の底から沸いてくるまで準備をしなければ、法廷でメロメロになってしまいます。

逆にそこまでの準備をしていれば、反対尋問でどのような答えをされても臨機応変に対応でき、効果的な尋問を行って、依頼者に有利な証言を引き出すことも可能となってくるのです。

「尋問技術」といわれるように、法廷で行われる尋問には一定の「技術」的要素があることは間違いありません。

しかし、尋問は「技術」にとどまりません。

弁護士の「熱意」と「努力」、何より法廷という場において、神ならぬ身である人間が行う「裁判」という場において、できる限り「真実」に近づきたい、そういうひたむきな弁護士の「思い」が結果的に真実を浮かび上がらせるような尋問を可能にするものだと思っています。

我々弁護士は法廷に出入りするときや裁判が始まるとき、一礼するのが習慣となっています。

しかし、これは一般によく誤解されているように、「裁判官」という「人」に対して礼をしているわけではありません。

真実を発見し、正義を実現する「法廷」という神聖な「場」に対して、我々法曹は畏敬の念を抱き、自ずと一礼をするのです(よく見ると裁判官も一礼していますね)。

裁判というと何かしら怖いもの、忌むべきもの、避けるべきものというのが一般の方々の感覚だと思われます。

しかし、相手がたとえ一国の総理大臣であっても、法廷という場において、法の下においては平等です。権力者といえども、真実の力、正義の力に抗うことはできないのです。

そういう思いを忘れず、これからも裁判という仕事に関わってゆきたいと思っています。

最後に、これも私が大好きな映画、「評決」(バリー・リード原作、シドニー・ルメット監督、1980年)で、主演のポール・ニューマン演ずる主人公の弁護士が陪審員に向かって最終弁論をする場面でのセリフの一部を引用したいと思います。

「・・・しかし今日はあなた方が法律なのです。あなた方ご自身が・・・法律なのです。法律書でもなく、弁護士でもない。大理石の彫像でもなければ、法廷という形式の場でもない。これは全て我々が正義であろうとする願いの象徴でしかないのです。そしてこれらの象徴は同時に祈りでもあります。激しい思いを込めた、そして恐れにうち震える祈りなのです。私の信じている宗教では、「汝の信仰の如くに行え。そうすれば、信仰は汝のものとなる」と教えます。もし・・・私達が正義を信頼したければ、自分達を信頼するだけでいいのです。そして、正義を持って行動するのです。正義は誰の心にもあると信じます。」

(スクリーンプレイ出版スクリーンプレイシリーズ「評決」の日本語訳より)

(初出 2016年49日)